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ベルセルクアニメ9話 ルカの手放しにはたまげた!これぞ女の本懐だ!!

今日は、『ベルセルクアニメ9話 ルカの手放しにはたまげた!これぞ女の本懐だ!』について述べます。

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人は窮地に立たされたとき一体どんな態度を取るでしょう?

その行為が、自分の命を無くすことがわかっていても行動に移すことができる人がどれだけいるでしょうか?

今回の第9話では、そのキーマンといえる女性、もちろんルカこと娼婦ルカ姉について述べたいと思います。

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1.キーマンであるニーナの勇気が試された場面

アルビオンでモズグスの弟子の強烈な一撃を受けたことにより柱が崩れ、その影響でルカの足下が崩れます。

そして、ニーナ、ジェローム及びイシドロの三人による人間鎖で、ルカはアルビオンの塔から落下寸前の宙ぶらりん状態になります。

このとき、自分を引き上げることが難しいと判断したルカは、自分の命よりも仲間たちのことを思い、自分のパトロンであるジェロームに少女ニーナのことを託して、自らニーナの手を離します。

ルカは落下し、残された3人はルカの行為に唖然とします。

確かに凄い女性だと僕も思います。

これぞ、女の本懐、女傑といえるのではないでしょうか。

2.物語だからできたの?

物語の中のことだからと言うのは簡単です。

しかし、実際に窮地に立って、しかも自分の命の危険を顧みないで、他人のために自分の命を犠牲にできる人が、一体この世にどれだけいるでしょう?

最初にいっておきますが、僕は絶対にできません。

高層建築ビルから下を見たらそれだけで足がすくんでしまいます。

ましてやそこから飛び降りるなんて、無理無理絶対無理!

(あっ今ふと思ったんですが、不死のゾッドの名前の由来は、ゾッとするほど怖くてのゾットかもしれません。)

それ位高いにところが僕は怖い。

なのにルカは、自らニーナの握っていた手を離し、アルビオンの塔の頂から落下することを選びます。

自分よりも相手のことを真っ先に考えられるルカを見ていた髑髏の騎士が、直ぐさまルカを助けにはせ参じ、結果、ルカは一命を取り留めます。

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3.どうしたらそんな勇気を彼女は持てたのでしょう?

極めて少ないことだと思いますが、他人のために自分の命を投げ打つことができる人が現実にもいます。

このことは、僕の別の記事『ベルセルクアニメ生誕祭19、20、21巻のガッツと、ルカ、イシドロ達脇役名セリフにおける【6.ベルセルクコミック第19巻脇役ファルネーゼの名セリフその1】』でも掲載しましたので、よろしければそちらも読んで頂けると嬉しいです。

4.実際にニーナと同じような行動を取ることのできる人たち

上記記事では、電車の線路に落下した人を助けた人たちの話を2話紹介しています。

いずれの場合も救出のため線路内に飛び込んだ、極めて勇気のある人の実話です。

けれど、助けようとした人は、電車に轢かれたいへん残念なことですが、お亡くなりになられました。

何をもってしたらそのような勇気がわくのか、そのような人助けは絶対にできない僕には、全くもって理解不能です。

美談としてご遺族にインタビューされた内容も報道され、僕もそのインタビューをニュースで見ました。

5.あなたの子供がもしもルカのような行動をとったら?

僕には23歳の一人息子がいます。

もしも彼が同じようなことをしたとしても何も嬉しくありません。

むしろ絶対にしないでほしいと泣いて頼むと思います。

万一、そんなことをして息子が死んだら、『何でお前が犠牲になってまでそんな目に遭わないとならないのだ。息子よ、お前が死ぬほどの何を悪いことをした。』と、線路に落下した人を恨めしく憎悪の対象とすることでしょう。

あなたの場合はどうですか?僕と似たり寄ったりの考えではありませんか?

僕はそれでいいと思います。

自分の命を大事にすることは、決して悪いことではありません。

逆に自分の命を粗末にすることの方が問題だと考えます。

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6.美談を利用する輩たちの腹黒い行い。

上記二つの事件のうち、一つの事件は、日本人と韓国人の二人が線路内に落下した人を救出するためにホームから飛び降りました。

特別な美談として報道されたのですが、時の政府で総理の森喜朗は、韓国人の方の弔問には行きました。が、日本人の方の弔問には行かなかったそうです。

この話を聞いて、僕は、森喜朗に対するいやらしさを感じました。

当時の韓国との政治カードとしての色合いが濃いと思ったからです。

美談を利用する輩たちの腹黒さにその話を聞いて唖然としました。

7.自ら命を投げ打って人の命の救命にあたることができる人と、そうでない人との違い

今回のルカの手放し事件を読んで、上記に述べた救助者の人の話を同時に思い出したのですが、自ら命を投げ打ってまでも人の命を救出するための行動ができる人と、そうでない人との違いは一体何だろうと僕なりに考えてみました。

三つ子の魂百までということわざがある位です。

ですので、やはり教育でしょうか?

それとも持って生まれた天性のものでしょうか?

僕はそのいずれもだと思います。

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8.ガッツもしていた自己犠牲の命の救出劇

そう思うと同時に、ガッツが、グリフィス救出のため、ルカと同じことをしていることを思い出しました。

降魔の儀において、グリフィスが、ガッツの落下を救うため、腱の切れた片腕をガッツに差し出す場面があります(コミック第12巻『人外百鬼』の節をご参照ください。)。

このときガッツは、腱の切れたグリフィスの手がちぎれそうになることに気づきます。

そして、そのことに気付くや否や何ら躊躇(とまど)うこと無く、自らグリフィスの手を離し、谷底に落下します。

そのときガッツは、ナイフを崖の斜面に突き刺して崖下への落下を食い止め一命を取り留めます。

なぜガッツはグリフィスのために、そのようなことができたのでしょうか?

9.ガッツの生い立ち

ガッツは、その昔、首をつられた実の母親の骸(むくろ)の下、血と羊水の混じる泥水に抱かれて産声を上げました。

育ての親で傭兵頭であるガンビーノの妻シスの愛情をもらってガッツは育ったと思います。

ですが、コミック(第3巻をご覧ください。)を読む限り、ガンビーノは、子供には全く興味が無い。それどころか、ガッツに冷徹でした。そして、唯一ガッツに愛情を注いでくれたシスは、ガッツが三歳のときにペストという伝染病にかかって亡くなっています。

したがって、シスの死後、ガッツが、ガンビーノを始めとする周囲の大人から愛情を注がれて育てられたとは考えにくいです。

ですので、ガッツが他人のために命を捨てるというこころの基盤が、幼少の頃に出来ていたとは少し考え難(にく)いと思います。

ましてやガッツの生活の場は傭兵団の中です。

生死を伴う毎日に自分の身が置かれているわけです。

ですから、他人のことなど誰もが構っていられない。

そういう環境にガッツは幼少のころからあったわけです。

10.ガッツがグリフィスのために命を捨てられるのは何故?

このように考えますと、ガッツがグリフィスを自分の命以上に大事に思うことができるようになったのは、育てによるものではなく、グリフィスとガッツとが死闘の末に築き上げた二人の友情によるもの及び天性のものと考えるのが打倒なような気がします。

なので、育てによるもの以上に、天性の優しさや勇気というものが、人にはあるのかもしれないと僕は思いました。

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11.まとめ

そして、残念ながらというか、よかったというか、この記事を書いている僕には、少なくとも自分の命を投げ出してまで、他人を助ける勇気はないという事実に気付いているということです。

これは自己防衛本能であると考えますが、仮にグリフィスが受けたような拷問に自分が堪えれば、息子の命を助けるという究極の選択があった場合、僕は一体どう対処するだろうと考えますと、「うーん」すぐには返事ができない。息子にはいえないけど・・・。

僕は、注射されるのも嫌なほど痛みには弱いです。

なので、その点弱っちいニーナと似ています。

多分、息子と一緒に死を選択することができるのであれば、痛みに耐えるよりも当然のこととして死を選ぶと思います。

なので、結論としては、弱っちい僕に、他人のために平気で命を投げ打つ人のことで云々いう資格は全くないということで、今日の記事は終わりです。

ごめんなさい。つまんなかったかなぁ

今日も僕のブログ”【そあかん】ベルセルク漫
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