ベルセルクコミック第1巻ガッツの名セリフ
『いいじゃねえか』
『どんなことだろうと やりたいようにやってしんだんだろ?』
『幸せ者だぜ そいつは』
『もっとも 死んじまったら それまでだけどな』
『そこから先は無いさ』
ゴッドハンドを求めて夜道を一人歩くガッツの後ろから、馬車に乗った僧侶アドロフとその娘コレットに馬車に乗るように声を掛けられて、ガッツは一度は断るものの、アドロフの強い勧めで同乗します。
そして、馬車に乗ったガッツの風体(ふうてい)を見たアドロフが、ガッツに傭兵か否かを尋ねます。
自分の甥(おい)も剣で身を立てるといって家を飛び出すが、戦争で名も無き一兵士として死んだこと、生きていれば所帯を持って、それなりの幸せを手にすることもできたであろうとガッツに言ったこと、に対してのガッツ返事が上記のセリフです。
生きてこの世に生まれた以上、いずれ親元から旅立ち独立することになります。
学校を卒業する前に将来自分のしたいことを探す人もいるでしょうし、在学中に見つからなければ、社会人になってから探す人もいるでしょう。
でも、自分のしたいことが見つけられない人だっています。
また、見つけてもそのしたいことを成し遂げることができる人ばかりでもないです。
さらに、それを成し遂げたことで幸せを感じることができる人と、できない人がいます。
自分のしたいことを達成することができず、志半ばで挫(くじ)けてしまう人だっているでしょう。
目標や夢を追いかけて、達成できる人とできない人もいます。
あなたはこれらのどれに当て嵌まりますか?
そして、何のために夢を人は求めるのでしょう?
幸せになりたいからという答えが無難だからでしょうか?そういう話は良く聞きます。
では幸せとは何でしょう?
好きなものを飲食し、
欲しいもの手に入れたい、
お金が欲しい、
家が欲しい、
車がほしい、
社会的な地位が欲しい、
恋人が欲しい、
人から尊敬されたいなどなど、
欲しい、欲しい、欲しい、欲しいものを手に入れるために、人は毎日を生きているのでしょうか???
そして、欲しいものを手にしたからといって、果たして本当に幸せを感じることができるのでしょうか?
このような問いかけは、今に始まったことではありません。
古くからどこの国でも地域でも、人である限り、人が言い続け、悩み続けてきたことです。
ですが、結局のところ、万人が納得のいく答えというのは、キリストやお釈迦様でも言えなかったのではないかと僕は思います。
悟ったといっても、それが万人に通じるものでなければ意味はありません。
悟っていれば、宗教戦争なんて起こらないでしょうから。
なので、いまでも生きて行くことがしんどいと思う人はいっこうに無くならない。
かく言う僕も50年以上生きてきましたが、本当の幸せが何かはよくわからない。
僕は、自分の持っていた夢を達成することも出来なかったし、経済的に裕福でもありません。
だけど、これまで生きてきて、僕なりにいえることは、幸せは、ガッツが言ったように、自分のやりたいことをまずはしないと始まらないかもしれません。
しかしそれには条件が付きます。
そのときどきで、自分を必要としてくれる人がいて、かつ自分が誰かのために役立てたという思いがなければだめということです。
愚痴や不平は単なるはけ口であるとしか思えてなりません。
今になって昔のことを振り返ってそう思える自分がここにいます。
でも、自分が人のためになっていると感じることができたとき、又はそう感じさせてもらえたとき、人は共通して、心のなかに幸せな気分がスーと、少ないかもしれないが生じるのではないかと思います。
なので、ガッツがいったように、やりたいことをやってもそれだけではだめでそれにプラスアルファで、今自分は人のためになれたと思えたなら、きっとその人は幸せなんではないかと思います。
このように考えてみますと、幸せは、途切れなく続くものではないということです。
そして、この小さな幸せがたくさん積み上げていける人、そして、そのことに気付くことができた人が本当の幸せな人ではないかという気がします。
多くの人が、小さな幸せに満足できず、大きな幸せばかりを求める傾向にあると思います。
なので、目の前の小さな幸せに気付くことができない。
しかし、その小さな幸せを無くすと、一気にその存在が見えてくる。
ガッツの言うように、無くして初めてわかる。
このことは三浦建太郎先生ももちろん気付いていたから書くことができたのだと思います。
ではどうしたら、その小さな幸せに気付くことができるでしょうか?
僕は小さな幸せというものを意識し、感謝することが大事だと思います。
今あなたの周囲にあって当たり前のものや人を列挙してみてはどうでしょう。
例えば、僕は、今こうしてPCを使ってブログを書いているのだけれど、このpcが無くなったら毎日の生活に支障がでます。
僕にとってブログを書くことは、毎日の日課です。
なので、それができないと何か体がむずむずする感じがきっとする。
また、僕から家内や子供が居なくなったら生きて行く気力がきっと無くなります。
これらの存在は、みんな当たり前のことのように思えることがあります。
けれども、僕たちは、これら当たり前に存在するもののことを、実は特別のものだと意識して考えたことがあまりないのが普通ではないでしょうか。
自分の肉親が亡くすことは極めてショッキングなことです。
ですので、肉親がいるのが普通でなく、それが無くなったらどうなるだろうという意識をもつこと、これを考えるようにすると、これまで普通にあることの大切さを一番実感できるのではないかと思います。
家族が自分の前から居なくなってしまった生活のことを想像してみてください。
その人に対する感謝の気持ちが、ふつふつと沸いてくること請け合いです。
そうなれば、きっとその人との関係が今以上に良くなると思います。
今あなたの周囲にある物についてはどうでしょう。
その物が、今忽然とあなたのそばから消えてしまったときのことを想像してみてください。
それまでぞんざいに扱っていたその物が、きっと愛おしくなります。
その結果、何が自分にとって本当に必要なものかが見えてくると思います。
そして、そのような人やものに対して自ずと感謝の気持ちが湧いてきます。
その結果、その人や物との関わりが濃くなり、さらに良い循環が生じます。
今日も僕のブログ”【そあかん】ベルセルク漫画アニメ映画まとめブログ”にご来訪頂きありがとうございました。
これからも頑張りますのでお付き合いのほどよろしくお願い申し上げます。
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