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ベルセルク アニメ11話モズグス対ガッツでモズグス最期のあがきに喝采

今日は、『ベルセルク アニメ11話モズグス対ガッツでモズグス最期のあがきに喝采』について述べます。

Cheer to last gasp of Mozugusu

僕がこの11話を見て一番強く思ったのは、神様ってのは無慈悲だなと思ったということです。

あれだけ神に対する信仰心の強かったモズグスおよびその弟子たちは、ガッツおよびその仲間によって殺戮されたわけですが、モズグスたちもある意味被害者であったかもしれないからです。

今日はそのことについて、『ベルセルク11話 モズグス対ガッツでモズグスの最期あがきに喝采』と題して述べたいと思います。

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1.モズグスおよびその弟子を会社でいえば?

会社でいえば、神様が社長で、モズグスは部長、モズグスの弟子たちのうちカラスの面をかぶったカラス男が課長で、後の弟子達が平社員というところでしょうか(取締役がいないけど、モズグスを取締役というには無理があったと思えたので、部長にしました。どうでもいいか?)。

彼らは、皆、信仰心が厚く、最期は、自分の死をもって神に忠誠を尽くしたわけです。でも、結局、彼らが手にしたものは一体何だったのでしょう?

ニュースや新聞で、会社員が不正を働き、自殺するというニュースが流れることがあります。

人は皆弱い生き物で集団行動をとると安心する性(さが)があるらしいです。

会社のためや組織のためという大義名分で自分のしていることが悪いことと知りつつ、不正を働く輩が、昔も今もいるのはなぜでしょうか?

2.モズグスの弟子について考える

モズグスの弟子について考えてみますと、彼らはモズグスに出逢い入信することで、それまで魔物や獣(けだもの)扱いされていた自分が、今度は逆に多くの信者の上に立つようになり、その奇跡に感謝しています。

たとえば、カラス仮面の男は、モズグス専任の拷問執行官として、モズグスに忠誠を尽くして働くことに、誇りをもって生きています。そして、ガッツとの戦いの最期には、モズグスと巡り合えたことを神に感謝して死んでいきます。

カラス仮面の男は、モズグスに使えたことで、たとえモズグスの盾となって死に直面しても、自らに与えられた使命として、それを受け入れ全うしようとしました。

これらはすべて神のため、モズグスのためであり、現在の会社員で会社のためという理由で不正を働く者と似たような感覚ではないでしょうか?

他の弟子達も似たようなものだったかもしれません。

そのように考えますと、モズグスの弟子は、モズグスと出逢うことで、自分の居場所が見つかったわけです。

なので、拷問執行官という普通の人間であればできない拷問を執り行う職にあっても、それはそれで幸せだったかもしれません。ただ、ここで彼らが人の犠牲の上にあこぎな行為をしてしまったことを指摘してくれるものがいなかったことが、彼らにとっての不幸でした。

その中で、1番神を信じたモズグスが1番不幸だったのかもしれません。

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3.モズグスについて

モズグスは、自己による簡易裁判を執行して、邪教徒などモズグスの間尺に合わない者を処刑します。

つまり、自分の判断だけで勝手に厳罰を与えます。

中には邪教徒として根拠がないのに密告されたというだけで、火刑や車輪轢きの刑などの極刑にあう者さえいました。

このようなことが、自己の権力によって、または都合によって、勝手にできるモズグスが、本当に神に愛されていたのでしょうか?

常識的に考えればノーだと思います。

なので、モズグスおよびその弟子たちは、使徒である”完璧な世界の卵”によって使徒もどきにされてから、それらの者は皆、神より授かりし羽魔を奇跡として衆目に訴えます。

そして、自分たちにより、これからガッツたちに天罰を与えんとすることを宣言します。

ですが、実のところ、神より天罰が下ったのは、モズグスたちでした。

そりゃそうですよね。

なんの根拠もないのに、邪教徒の嫌疑が掛けられただけの民を極刑に処したり、キャスカにあっては烙印が刻まれていることだけを理由に悪魔にしちゃったりするんですからひどいもんです。

それについては、モズグスの信者たちも同罪です。

モズグスがガッツに負けたら、魔物から我が身を守るために、我先にアルビオン修道院に逃げ込み、他の信者がまだ院外にいるのがわかっていながら、院内に居た者たちは、魔物の院内への進行を阻止るために閉門してしまう始末です。

ですから、自分かってで、ご都合主義の信者たちばかりだったと言わざるを得ません。こんな信者が神からの助けを求めても助かるわけがない。

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4.あなたの周りにもいるご都合主義たちとそうでないたち

僕の周りにもかってで、ご都合主義の人は少なからずいます。しかも、十分な社会経験を積んでいる年配者にそれがまた多い。

反対に若くても正義感が強く、人としてバランスのとれた人も僕はたくさん知っています。

人は、本当に困っている人が自分のそばに居るときに、その人に対してどういう態度を取れるかとか、自分が窮地にあるときにどのような言動を取れるかとかで、その人の真価が問われるとよく言われます。

しかし、真価があるような言動を取ることはとても難しいことです。

僕自身本当に困っている人が、目の前に現れたときや自分が窮地に陥ったときにどういう言動を取れるだろうか?と問うと、正直わからないところがあります。

モズグスおよびその弟子は、ガッツおよびその仲間に敗れはしました。

けれど、最後まで神を信じてガッツに抵抗し、足掻きながら死んでいきました。

最後まで信念を曲げずにいたその姿は、その点だけに注目すれば、それなりに立派、大げさにいえば喝采を浴びても良かったかもしれません。

ただ、モズグスもその弟子たちも、神と名だたる存在主の犠牲者であったといえば言えるかもしれません。

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5.まとめ

このように考えますと、信仰というものは、人を悪魔にも天使にも変える力があると感じます。

過去にあった宗教事件での信者による殺人事件は、オーム真理教の三大事件を始め、数えれば切りがない。むごい事件が後を絶たないわけです。これらはみな人の心の弱さにつけ込んだ、極めて悪質で陰湿なものばかりです。

宗教の自由は、憲法で保障されています。

けれど、なぜ学校で宗教の弊害についての授業がされないのでしょうか?

教える人の絶対数が少ないことや同じく憲法で保障されている思想の自由にも関係してくることなので、どこで線引きをしてよいのかは、最終的に個人に委ねるしかないからかもしれません。

また、教える側の信条や思想が教わる側に深く影響する可能性が高いので、それは避けるべきだと文科省では考えているからかもしれません。

しかし、憲法の授業には、もっと時間を割いて学校で教えるべきだと思います。

なお、ベルセルクが宗教に関連する思想的な物語だからということで、雑誌では掲載されたもののコミックスでは未収録にされた幻の83話というものがあります。

ベルセルクの根幹に係る重要な部分と思われたのですが、なぜ割愛されてしまったのか不思議でした。

そのことについては、以下に示す僕の別記事に根拠に基づいて詳細に述べておりますので、よろしければご覧頂けると嬉しいです。

・ベルセルクアニメ 幻の83話 深淵の神②(単行本未収録)グリフィス転成の謎考察

・ベルセルク単行本未収録幻の83話欠番 時代検証で判った本当の理由

今日も僕のブログ”【そあかん】ベルセルク漫画アニメ映画まとめブログ”にご来訪頂きありがとうございました。

これからも頑張りますのでお付き合いのほどよろしくお願い申し上げます。

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